
TSRは2014年よりサッカー大国ドイツの名門チームアイントラハト・
フランクフルトと教育提携しています
TSRは2014年9月にアイントラハト・フランクフルトと教育提携契約を締結しました。
以来、10年以上にわたり、毎年様々な相互交流プログラムを実施しています。
今日現在、アイントラハト・フランクフルトにとっても、数あるパートナーの中でTSR(滋慶学園)が一番関係の長いパートナーとなっています。
来日イベント
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● サッカー指導実践
国際部の責任者を務めるUEFA-PRO ライセンス保有の指導者をTSR に招き、スポーツトレーナー科・アスレティックメディカルトレーナー科・スポーツビジネス科の学生を対象に特別授業を行いました。
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● トレーナー講座

来日講師ニコライ・アダム Nicolai Adam
アイントラハト・フランクフルト 国際部主任
Eintracht Frankfurt Head of International
Sport Projects
UEFA-PROライセンス所持
~指導歴~
2011- アゼルバイジャンU15-19代表監督・指導者養成チーフ
2015- インドU17代表監督
2017- 現職(Eintracht Frankfurt)
Student Voice

サッカーは感覚だけではなく、
頭を使うスポーツと再認識しました!
サッカー指導実践の練習は頭を使うことが多くて、日本とは違うドイツ本場の練習が出来ました。ウォーミングアップから頭を使って行い、感覚だけでは出来ない練習を行いました。特に今回の練習で強く求められたのは裏抜けについてでしたが、短時間でも意識して取り組むだけで、習得することができ、いつもよりたくさんゴールを決めることが出来ました。練習の最後には、ドイツ恒例のヘディングでクロスバーに当てるゲームもしました。対決方式でとても楽しく、ヘディングの技術も高めることが出来ました。これからもチームでの練習から意識して取り組んでいきたいです。
スポーツビジネス科:後藤 さん

日本でも外国でも共通する
“教本以外”の大切な事を学びました!
国際教育は日本の枠を超えて海外のトレーナーさんからお話を聞けるのでとても貴重な機会であり、また、自分の経験値にもなりました。AT試験は”教本”ですが実際の現場では”教本以外”のことが起こることがほとんどだと思います。
言語は違くても、トレーナーとして選手に何ができるのかという考えやトレーナーとして学ばなければならないことは日本でも海外でも変わらないことがわかりこれからの進路の視野が広がりそうです。勉強の大切さやトレーナーという職業への熱量を改めて考えさせられるとても良い機会となりました。
スポーツトレーナー科:永田 さん
主な活動実績
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● インターン
(2017〜2018シーズン)
TSRの卒業生がインターンとしてU13チームでコーチを1シーズン務めました。その経験を生かして現在もドイツで活躍中。
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● 海外研修
(2019年2月)
毎年30名限定で実施しています。アイントラハト特別プログラムだけでなく、試合観戦後に鎌田選手と写真撮影も。
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● オンライン特別授業
(2020年〜)
コロナ禍中はオンラインで特別授業を実施。
長谷部選手(当時)からの特別メッセージも毎年いただきました。
Profile

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アイントラハト・フランクフルト
サッカー大国ドイツの名門チーム
- アイントラハト・フランクフルトは、ドイツ・ヘッセン州フランクフルトを拠点とする伝統ある総合スポーツクラブです。サッカー部門のトップチームはブンデスリーガ1 部に所属し、近年の躍進が目覚ましいクラブです。
2021‒22 シーズンにはUEFAヨーロッパリーグで栄冠を手にし、その後2022‒23 シーズンにはクラブ史上初めてのUEFA チャンピオンズリーグ出場を果たしました。サッカー界での影響力だけでなく、収益ランキングでもヨーロッパ上位に名を連ねており、ワールドクラスのビッグクラブとしての地位を確固たるものにしています。
日本とのつながりも強く、長年プレーした元日本代表の長谷部誠氏は、現役引退後コーチに転身。さらにトレーナーとして黒川孝一氏が所属し、クラブと日本の結びつきは深くなっています。2025 年夏に日本代表MF 堂安律選手がフライブルクから完全移籍。5 年契約(~ 2030年)を結び、背番号はかつて長谷部氏も着けていた「20」。クラブへの即戦力として大きな期待が寄せられています。

- 堂安 律
- 兵庫県出身のプロサッカー選手。日本代表として2018年に初選出され、その後、ワールドカップやアジアカップを含む国際大会で日本代表の主力として活躍。2025 年8 月、フライブルクからアイントラハト・フランクフルトへ完全移籍し、背番号20 を着用。
UEFA チャンピオンズリーグ初出場を果たすこととなり、加入直後からクラブの主力として期待されている。

FC 東京のアカデミーからトップチーム、そして日本代表へ。
橋本拳人選手は、幾度ものケガや壁を乗り越えながら、確かなキャリアを築いてきました。
その歩みのそばには、若き日から彼を支え続けてきたトレーナー・尾垣孝博さんの存在がありました。
10年以上にわたって続く2人の関係をたどりながら、選手とトレーナーによる「揺るぎない絆」に迫ります。
尾垣さんが厳しく指導してくれたから、プロとしての土台を築くことができた尾垣さんが厳しく
指導してくれたから、プロとしての土台を築くことができた

出会い、
そして苦楽をともに-
尾垣:
私にとって橋本選手は特別な存在でして。FC 東京に加入した2011年、トレーナーとして初めて間近で接したのが、U-18 からトップチームに加入していた橋本選手なんです。
橋本:ほぼ同期入団で、それからはもう尾垣さんにビシバシしごかれて(笑)。プロとしてやっていくフィジカルの土台を築いてもらい、すごく成長を感じたのを覚えています。確か、プロ1 年目の最初にケガをしましたよね?
尾垣:そう、足首を捻挫して。復帰できたと思ったら、復帰初日に内転筋の肉離れを起こして。あの頃はただガムシャラに早く治ってほしいという一心でリハビリをしていましたが、自分の未熟さを痛感しました。
橋本:プロに入ってこの先どうなっていくのかと不安の中、僕の弱い部分や改善点を見つけてもらい、寄り添ってくれたのが尾垣さんでした。毎日のように“2 部練”してましたよね。他の選手と同じ練習量じゃダメだろうって。
尾垣:10 代の頃から橋本選手は高い目標を設定して、それに向けて常にブレることなく突き進む気持ちの強さがありました。
橋本:プロで自分が思い描いていたようにはうまくいかず、ケガも繰り返していた時期に、厳しく指導してくれる尾垣さんに出会えたのは大きかった。1 から10 まで教えてもらいました。「きついです」と言っても、「これはやんないとダメだ」と(笑)。尾垣さんはやると決めたら絶対やり抜く人。今ではなかなかいないトレーナーかもしれません。
尾垣:私が学生時代にTSR で教わったのは、トレーナーは“嫌われ役”だということ。選手に好かれようと思えば違う方法もあったかもしれませんが、それでは選手もチームも強くならないと考えていたので。それに橋本選手は、私が何を言っても嫌な顔一つしなかった。その姿勢がとても印象的で、これがプロフェッショナルなんだなって。
橋本:心の中では「きつい!」と叫んでましたけどね(笑)。でも自分に必要だとわかっていたし、素直に励むことができました。1 日2 回のハードなメニューで、メンタル的に追い込まれた時期もありましたが。
尾垣:チームのみんなは午前の練習が終わると帰っちゃいますしね。
橋本:誰もいないピッチで午後、2 人でやってましたから。ただ振り返ると、あの日々は僕にとってすごく大事な期間でした。本当に毎日一緒にいて、カラダのことから私生活までいろんな話をしましたし、「お互い日本代表を目指して頑張ろう」と語り合って。
ここから始まった選手からの信頼、絆が今も続いている。
日本代表で
並び立った感慨-
尾垣:
だからこそ、あの舞台で再会できたときは感慨深かったです。私はFC 東京に8 年在籍した後、2019 年から日本代表に携わることができたのですが、橋本選手も同じ年にデビューして。
橋本:僕は当初、尾垣さんが代表にいるのを知らなかったんです。たまたま見た記事の写真で、選手の後ろに尾垣さんが映っていて、「えっ? これそうだよね?」と驚いて、すぐ連絡して。あのときは「僕も入るしかないぞ」と代表への意欲がさらに湧いてきましたね。先に行かれてしまったから(笑)。
尾垣:「橋本拳人」の名前がメンバーリストに挙がった時は、本当に嬉しかった!
橋本:再会して「お互い成長したな」みたいな話をして。でも、ちょっと丸くなってましたね。あのFC 東京時代の怖い尾垣さんからは顔が柔らかくなっていて(笑)。
FC 東京をけん引する存在としてピッチで躍動する橋本選手。“ 支えてくれた人たちの想い”を背負いながら戦う。 尾垣:私自身はなるべく橋本選手に関わらないようにしようと意識していたんです。仲良くしすぎても橋本選手はやりづらいでしょうし、それに代表には私よりも優れたトレーナーがいるので、そのような素晴らしいトレーナーに見てもらったほうがより高めてもらえるのではないかと思って。
橋本:それでも自分をよく知る人がそばにいてくれたことは、すごく心強かったです。何かあればいつも相談してましたし。
尾垣:再会した当時のことを振り返ると、橋本選手が2020 年に海外移籍する際、「パーソナルトレーナーになってほしい」と声をかけてくれたんですよね。でもその話を断ったことがありました。
だけど橋本選手なら、どこへ行っても強くなると信じてましたし、また会えると思っていました。橋本:相談しましたね。日本を離れたら見てもらえる機会はなかなかないと思っていましたし、自分のカラダをわかってくれている尾垣さんにサポートをお願いできたらなって。
尾垣:でも、その後も代表で同じピッチに立つことができた。とくにFC東京出身の選手が大勢招集された2021 年6 月の代表戦は特別な瞬間でした。あのときみんなで撮った写真は私の宝物です。
トレーナーとして“高度な一般常識と健全な価値観”を
持つことを心がけた

二人の物語を
未来につなぐ-
橋本:
TSR で学ぶ皆さんはたくさん勉強されていると思いますが、やはり選手はそれぞれカラダつきも違いますし、各々に合ったトレーニング法があるかもしれません。僕の場合は一人ひとりに寄り添い、一つの考えを押しつけるのではなく特徴を見抜いて指導してくれる尾垣さんのようなトレーナーが好きなので、そういう方が増えてくれたら嬉しいですね。
尾垣:プロのアスリートはまさに身を削って競技に全力を注いでいます。トレーナーはその選手たちの人生を預かる仕事。選手は自らの生活や家族はもちろん、すべてを懸けて努力し続けているので、そうした普段は見えない大切なものにも想像力を働かせた上で、誠実に、謙虚に、裏表なく接してほしいなと思います。
橋本:尾垣さんがいなかったら、今の僕はいない。自分自身のカラダと向き合い、もっと向上するためには何をしなければいけないのか常に考えられるようになれたのは、本当に尾垣さんのおかげです。
尾垣:苦楽をともにしてきた仲ですし、そう言ってもらえて嬉しいです。このプロ意識の高さを目の当たりにして、自分も同じ姿勢で戦わなければいけないということを教わったので、非常に感謝しています。
橋本:もう一度、一緒にやれたら嬉しいですね。僕の目標は、FC 東京がJ1 リーグ優勝を果たすこと。チームの力になれるように頑張りたいです。そのためには尾垣さんにも戻ってきてもらって(笑)。
尾垣:そんな嬉しい言葉をありがとう(笑)。私はまずTSR の教員として、こんな素晴らしいプロの選手を支えられるようなトレーナーを多く育てていきたい。ただ私も現役ですし、負けずに現場に立ち続け、どこかでまた一緒に仕事ができたらいいですね。橋本選手にはまだまだ現役を続けて、FC 東京を優勝に導いてほしい。これからも頑張ってください!
橋本:はい! ありがとうございます!
各々のキャリアを重ねてきた2 人が、
同じ時間を過ごした日々の絆を確かめ合った。
Profile

FC 東京橋本 拳人
1993年8月16日生まれ、東京都出身。5歳からサッカーを始め、2006年、FC東京の育成組織に加入。FC東京U-18からトップチームに昇格後、中心選手として活躍し、2019年に日本代表デビュー。2020年からはロシアのFCロストフ、ヴィッセル神戸、スペインのSDウエスカ、SDエイバルに在籍し、2025年にFC東京へ復帰。ボランチとして高い戦術理解と安定したプレーでチームを支える。
| 2006-2008 | FC 東京U-15深川 |
|---|---|
| 2009-2011 | FC 東京U-18 |
| 2012-2020.7 | FC 東京 (2016年 U-23日本代表) (2019年 SAMURAI BLUEサッカー日本代表 初選出) |
| 2020.7-2022.3 | FCロストフ(ロシア) |
| 2022.3-2022.7 | ヴィッセル神戸 |
| 2022.8-2024.6 | SD ウエスカ(スペイン) |
| 2024.8-2024.12 | SD エイバル(スペイン) |
| 2025- | FC 東京 |




元FC 東京トレーナー/
TSR卒業生・現TSR教員尾垣 孝博
1987年4月10日生まれ、北海道出身。日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナーと鍼灸師の資格を持ち、2011年から2018年までFC東京でトップチームから育成年代まですべてのカテゴリーでトレーナーを担当。2019年からSAMURAI BLUEサッカー日本代表のATとして、2022年のカタールW杯に帯同。現在は年代別のサッカー日本代表などを担当しながら、母校であるTSRで後進の育成に励んでいる。
FC東京トップチーム
高円宮杯 第26回全日本U-15
サッカー選手権大会優勝
サッカー日本代表アスレティックトレーナー
(2019 コパアメリカ ブラジル大会帯同)
( 2022 ワールドカップ カタール大会帯同)
(2025 U-20ワールドカップ チリ大会帯同)